お寺の掲示板
最近、巷でお寺の掲示板が注目されているようです。
「輝け!お寺の掲示板大賞」という取り組みもされていて全国の寺院の有り難くもウイットに富んだ法語が紹介されています。
ちなみに昨年の大賞は「コロナよりも怖いのは人間だった」というお言葉でした。感染症も恐ろしいものであるが、それに右往左往する人間の愚かさを見つめ直す一年であったという事でしょう。
妙善寺にも掲示板を設置しており、定期的に更新をしておりますので、ご紹介いたします。
2021年1月のことば
「老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の 美しさだ」
煉獄 杏寿郎 鬼滅の刃より
空前の大ヒットとなっている映画「鬼滅の刃」無限列車編からの言葉です。私も鬼滅の刃に魅了され、単行本も読破し、映画も見させていただきましたが、特に煉獄杏寿郎さんの言葉は、心に響くものがありました。
鬼滅の刃のなかでの「鬼」は「老いも病も死も」克服した存在として表現されます。そして、自らの欲望を満たすために、他のいのちを奪っていきます。
仏教でいう「生老病死」の四苦を否定し、自己中心的な心にとらわれる「我執」に満ちた存在です。
その鬼に対して、煉獄さんが言い放った言葉が「老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の 美しさだ。 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ。」というものでした。
限りある命だからこそ一瞬一瞬の命の輝きがある、老いていくその姿も、死んでいく姿も命そのものであり、尊い命の真実だと教えられます。私たちは時に、老いや死から逃れよう、先延ばしにしようと見て見ぬふりをして、命の真実から目をそらしてしまっているのではないでしょうか。鬼という存在を通して自分自身に問いを頂いたように感じました。
2021年2月のことば
「仮令身止けりょうしんし 諸苦毒中しょくどくちゅう 我行精進がぎょうしょうじん 忍終不悔にんじゅうふけ」仏説無量寿経 讃仏偈より
「 仏になる道を求めて たとえ我が身が 苦難の毒に沈むとも すべての衆生を救うという 願いを果たさん その日まで しのび励みて悔いざらん 」
讃仏偈とは、阿弥陀さまが仏さまとなられる前の法蔵菩薩であった時、師である世自在王仏の気高き姿を仰ぎ、お徳を讃え、自らもそのような仏となると本願を立て、諸仏にお誓いする偈文です。
その最後の4句を2月のことばといたしました。この4句は、阿弥陀さまのお覚悟、お慈悲の深さが表れています。
たとえ、自らが苦難の道を歩み、身を亡ぼすようなことがあっても、すべての衆生を救うという願いを果たすまで、精進し、後悔することもない。自身の幸せよりも、衆生(私たち)の幸せを願って下さるのが、阿弥陀さまなのです。
その阿弥陀さまがお仕立てくださった「南無阿弥陀仏」のお念仏を大切に、ご恩報謝の日々を過ごしてまいりたいと思います。
ちなみに、高倉健さんの辞世のことば「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」は、讃仏偈の最後の2句「 我行精進 忍終不悔 」よりのことばであるそうです。