住職より挨拶
– Intro –
未だ見ぬ わがふる里に ゆく道は
ただひとすじと 心安らぐ
有縁の皆様、妙善寺のホームページをご覧いただきありがとうございます。ようこそのご縁であります。
さて、冒頭の言葉は、妙善寺第17世住職である釋賢仁の辞世の句です。浄土真宗は親鸞聖人を師と仰ぎ、お念仏のみ教えをお聴聞させていただき、未だ見ぬわがふる里(お浄土)への一本道を歩ませていただきます。
各地のお寺はお聴聞の場(聞法の道場)であり、この妙善寺も歴代の住職、坊守やご門徒の皆様のご尽力により、聞法の道場として永きにわたりこの地域に根を下ろし、お念仏あふれるお寺として今を迎えます。
しかし、目まぐるしく時代が変わりゆく中、お寺の在り方も変化に対応せねばなりません。
お寺に足を運ぶことが難しくなったご門徒の方やこれまでお寺とのご縁の薄かった方、地域で仏事に関してお困りの方など様々な方に、このホームページを通して妙善寺の事を知っていただき、妙善寺がこころ安らぐご縁を結ぶ 「心の拠り所」 となれるよう精進してまいります。
どうぞ、末永くお付き合いください。
浄土真宗本願寺派 宝林山 妙善寺
第19世住職 菅原賢史(釋賢史)
妙善寺の歴史
– History –
妙善寺の歴史は、菅原良景公より始まる。菅原良景公は、先の右大臣菅原道真公の第五子と伝わる。
良景公(幼名長寿麿)は父、菅原道真公が大宰府へ左遷された折り、追慕の情に勝てず忠臣三澄左近将監時遠とともに京よりひそかに下向し、瓜生野(現鳥栖市元町)の地に隠居した。
菅公も人目を忍んでたびたび鳥栖の地を訪れていたという。その時に、今も現存する妙善寺の近くにある鏡ヶ池(姿見の池)の水面に御影を映し、自画像をお描きになり、良景公に形見として残された。
後に、良景公は仏門に帰依し、父菅公の菩提をとむらった。良景公より数えて20代禅心法師に至り、時に嘉吉3年(1443年)あるいは享徳元年(1452年)に浄土真宗に改宗し、この時をもって妙善寺の開基とする。
以来、浄土真宗本願寺派妙善寺として19代を数え、菅公より現住職は38代目に当たる。
妙善寺歴代住職
– myouzenji jyusyoku –
開基初代 | 禅心法師 |
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第2世 | 善幸 |
第3世 | 教円 |
第4世 | 元清 |
第5世 | 玄悦 |
第6世 | 恵應 |
第7世 | 本瑞 |
第8世 | 玉清 |
第9世 | 梅雪 |
第10世 | 智憧 |
第11世 | 玄清 |
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第12世 | 玄朗 |
第13世 | 有隣 |
第14世 | 誓鎧 |
第15世 | 寶舟 |
第16世 | 賢信 |
第17世 | 賢仁 |
第18世 | 一晴 |
第19世 | 賢史 |
浄土真宗の教章
– jyoudoshinsyu –
宗 名 | 浄土真宗 |
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宗 祖(ご開山) | 親鸞聖人 |
ご誕生 | 1173年 5月21日 ( 承安3年4月1日 ) |
ご往生 | 1263年 1月16日 ( 弘長2年11月28日 ) |
宗 派 | 浄土真宗本願寺派 |
本 山 | 龍谷山本願寺( 西本願寺 ) |
本 尊 | 阿弥陀如来( 南無阿弥陀仏 ) |
聖 典 | お釈迦さまが説かれた 「浄土三部経」 『仏説無量寿経』 『仏説観無量寿経』 親鸞聖人が著述された主な聖教 『正信念仏偈』 『浄土和讃』 『高僧和讃』 中興の祖 蓮如上人のお手紙 『御文章』 |
教 義 | 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。 |
生 活 | 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。 |
宗 門 | この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。 |